薩摩藩 【佐幕】さ行

『西郷従道』西郷どんの弟は明治政府に貢献した薩摩剣士

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西郷従道

『西郷従道』西郷どんの弟は明治政府に貢献した薩摩剣士

【勤皇】

【流派】薬丸自顕流

1843年 薩摩国加治屋町山之口馬場生まれ
西郷隆盛の15歳年下の弟で村田新八とは同郷

1902年 9月24日    病死。

 

西郷従道は、兄の西郷隆盛と同様に幕末から明治にかけて活躍した政治家・軍人。
特に初代海軍大臣として、日本海軍の発展に力を尽くした事で知られている。

 

茶坊主ながら剣術修行に没頭

幼いころ薩摩藩主・島津斉彬に仕え、茶坊主となるかたわら、
剣術を学び一撃必殺の実戦剣術である薬丸自顕流を習得する。

これには幼少の頃に体をこわし、憧れの剣術を習得できなかった兄、西郷隆盛の所願も背負ってのことと推測される。

そのまま藩主に仕え茶坊主から藩の要職としての道を歩むなら、剣術など不要であったはずだが、
武士としての本領がそれを許さなかった。動乱の幕末とはいえ武士は武士。本懐は武芸にある。

西郷家の一員としての重圧もあり、格式の示現流ではなく荒くれ剣術と呼ばれた薬丸自顕流に自身の打ち込むすべを見出したものと思われる。

 

武力革命を目指す「精忠組」に参加

そして、尊王攘夷を志す薩摩藩士のグループ「精忠組」に参加。
1862年の寺田屋騒動では攘夷派として参加したが、年少だったため、帰藩謹慎処分で事なきを得る。

 

忠義に命をかえりみず戊辰戦争を戦い抜く

1863年に薩英戦争が起こり謹慎が解ける西郷従道はと決死隊に志願して参戦。
戊辰戦争にもそのまま参加し、鳥羽伏見の戦いでは重傷を負いながらも各地を転戦した。
という己が義に命をささげる生粋の剣士ならではのエピソードも残る。

西郷従道2

初代海軍大臣を拝命

維新後の偉大な足跡は多くの資料に残る通り。
ただ、兄の西郷隆盛戦死の報を聞き泣き崩れ、大久保利通が暗殺されるまでは政府の職責を辞することを望み続けた。

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内閣総理大臣候補にも再三推されたが、兄・西郷隆盛が西南戦争で逆賊の汚名を受けたことを理由に断り続けた。

このあたりに西郷従道の武士道を感じ取ることができる。




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