薩摩藩 幕末四大人斬り 【流派】示現流 【勤皇】た行

『田中新兵衛』天誅!京の町を震え上がらせた抜刀テロリスト

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田中新兵衛

『田中新兵衛』天誅!京の町を震え上がらせた抜刀テロリスト

 

流派:薬丸示現流

愛刀:奥和泉守忠重

1832年:薩摩前ノ浜生まれ
1862年:京都で天誅!を実行
1863年:割腹で自害 享年32歳

 

幕末の京の町を震え上がらせた「四大人斬り」のひとりとして名を馳せました。

【幕末の四大人斬り】

「河上彦斎」 : 人斬り抜刀斎(緋村剣心)は実在した

「中村半次郎」:「西郷どん」と命運を共にした薩摩きっての切れ者

「岡田以蔵」 : 人斬り以蔵の別名を持つ幕末最凶の暗殺剣

 

実戦派の示現流から分派した“野太刀”と呼ばれ、さらに実戦を極める薬丸示現流の使い手。

狙った相手は必ず斬る。居合抜きの極意で、刀を抜きざまに下から上へ切り上げる。
相手には刀をかわす間も刀を構える間もあたえず、致命傷を負わせる必殺剣です。

一撃で討ち損じた場合は、襲って襲って討って討って討ちまくる必殺のあばれ惨殺剣。
甲高い奇声とともに剣を振りまわすので“きちがい剣術”などと呼ばれました。

幕末の京で絶大な政治力を誇り、「今太閤」と称された九条家従侍・従六位下左近衛権大尉の「島田 左近(正辰)」の命を狙い、
執拗に左近を探索、京都木屋町で襲撃に成功。逃げる左近を加茂川の河原まで追いかけて斬首し、先斗町でさらし首にしました。

土佐勤王党の「武市半平太(瑞山)」と義兄弟の契りを結び、以後、新兵衛は人斬り以蔵と恐れられた「岡田以蔵」らと徒党を組み、暗殺を次から次に実行。

本間精一郎、渡辺金三郎、大河原重蔵、森孫六、上田助之丞などを「天誅!」と称し集団で襲って暗殺したと言われている。

朔平門外の変(さくへいもんがいのへん)1863年7月5日尊皇攘夷の過激派公家「姉小路公知」を暗殺し薩摩藩の関与が噂されました。
現場に残された遺留品は薩摩の名刀「奥和泉守忠重」。
わざわざわかりやすい凶器を遺すというのは薩摩藩を陥れる謀略であると主張したましたが、刀の持ち主の田中新兵衛が捕縛されることになりました。




新兵衛は取り調べの隙を突き脇差を抜いて割腹さらにその脇差で自らの頸動脈を突き、果てました。

新兵衛は何者かにより嵌められて犯人に仕立て上げられた。とされていますが、太刀筋などから実行犯は新兵衛のようです。

この時期の田中新兵衛は心を病んでいたようで、暗殺時は草履ではなく薩摩下駄などといった高下駄を履いて、ありえない装備で事に臨んでいます。

おそらく正気を失って同じ思想の姉小路公知を襲撃してしまったのでしょう。
もし正気であったなら、西郷隆盛は薩長同盟の露払いに豪快な中村半次郎では無く聡明な田中新兵衛を当て込んだでしょう。

しかし、時すでに遅し。薩長同盟の蠢動は田中新兵衛が果てた翌年の出来事でした。

 

割腹+斬首と言えば、

田中新兵衛.三島由紀夫2.読売新聞

出典:読売新聞

かの文豪『三島由紀夫』が実は『田中新兵衛』役で映画に出演しています。
1969年五社英雄監督の「人斬り」がその作品で、勝新太郎(土佐の岡田以蔵役)と共演しています。

武市半平太役は仲代達矢が坂本龍馬役は石原裕次郎が演じ、剣道の有段者でもあった三島由紀夫は見事な殺陣を披露しています。

『三島由紀夫』は翌1970年、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を図り、この作品「人斬り」がセンセーショナルな話題を呼んだそうです。

田中新兵衛.三島由紀夫1読売新聞

読売新聞

奇しくも自ら割腹して果てる。『田中新兵衛』と『三島由紀夫』
新兵衛は命が長らえればまちがいなく維新の中心、その後の明治新政府で要職に就いていたでしょうし。

三島も存命ならば間違いなくノーベル文学賞を受賞していたでしょう。
時代の流れに逆らい、自ら果てた二人の剣士に因縁めいたものを感じます

 

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