【佐幕】た行

『高橋泥舟』槍一つで伊勢守になった男

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高橋泥舟1

『高橋泥舟』江戸を戦火から守った西郷隆盛と勝海舟、山岡鉄舟(幕末三舟)

【佐幕】

自徳院流槍術

江戸出身

1835~1903年 病死 享年68歳

 

22歳で講武所の教授に就いた槍の達人

槍を極め槍ひと筋に生き抜いた『高橋泥舟』

槍は兄の紀一郎に習い、その後葉、刃心流槍術の高橋包承の養子になることでさらに槍を追求しました。

『高橋泥舟』の槍の腕前は天下無双と言われ1856年には弱冠22歳で幕府の講武所の教授に就任、さらに25歳で師範役に抜擢されました。

槍を極める『高橋泥舟』の名は徳川十四代将軍「家茂」にも届いていました。浪士組を結成した清河八郎が上洛すると『高橋泥舟』は幕府より浪士隊取扱を任ぜられました。これは浪士組の監視役でした。

案の定、上洛した清河八郎は尊皇攘夷の活動をくわだてます。『高橋泥舟』は清河八郎を江戸に連れ戻し、新徴組取締責任者として清河八郎をその監視下に置きました。清河八郎はその後、幕府の剣客「佐々木只三郎」「窪田泉太郎」ら六名によって暗殺されることになります。

槍で将軍の警護役に就任

槍の腕前で『高橋泥舟』の右に出るものはおらず、十五代将軍一橋慶喜の護衛をつとめ上洛の際には将軍に随行、遊撃隊頭取として一橋慶喜の警護役に就任しました。鳥羽伏見の戦いでも常に一橋慶喜のかたわらにいて最後の将軍を守り抜きました。さらに一橋慶喜には「交戦ではなく恭順を」勧めることになります。槍を極めた『高橋泥舟』は戦うことの愚を悟っていたのでしょう。

江戸城開城の折衝に勝海舟は『高橋泥舟』を推挙しました、しかし『高橋泥舟』は不安な情勢のもと、一橋慶喜の側を離れることができず、これを固辞します。そして義弟の山岡鉄舟を推薦、山岡鉄舟や見事に西郷隆盛との折衝を務め、江戸は戦火をまぬがれ、江戸城の無血開城につながったのでした。

平時の鍛錬こそが有事に生きる

勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟の『幕末三舟』、彼らは禍乱のうちに、突如として現出したる風雲児です。しかし、西郷隆盛がいうように、「事の起こる以前において、大丈夫の心田を培うことを忘れなかった。」のです。

もしこれがなければ、大難局を収拾することができたでしょうか。海舟の神、泥舟の気、鉄舟の力。これは平生無事の際において養成したるところ、しかして一朝有事の際において力を発揮した。訳です。

高橋泥舟3宝祚之隆天壌無窮光記念館

高橋泥舟の書 宝祚之隆天壌無窮 出典:光記念館

勝海舟は『高橋泥舟』を「あれは大馬鹿だよ。物凄い修行を積んで槍一つで伊勢守になった男さ。あんな馬鹿は最近見かけないね」と親近感をこめて賞賛しています。

 

清河八郎 尊皇攘夷の魁、学問の人にして剣の達人

【幕末三舟】

勝海舟 剣術修行を極めた剣豪

山岡鉄舟 西郷どんも賞賛した江戸幕府の剣聖

 



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