【流派】天然理心流 【佐幕】は行

土方歳三 死んでは意味無し勝って生き残る剣

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1土方歳三

土方歳三 死んでは意味無し 勝って生き残る剣

【佐幕】愛刀:和泉守兼定
天然天然理心流 中極意目録
武蔵国多摩郡出身
1835~1869 享年34歳 戦死

天然理心流「近藤勇」との出会い

負けない、決して負けない。決して綺麗な剣筋では無かったと伝わります。

だからこそ、生き残り。そして、また戦う。泥臭さをも漂わす剣術。

新撰組鬼の副長「土方歳三」は武蔵国多摩郡の生まれ。

10代後半の青年期、家伝の傷薬を行商して回った先々の道場で、さまざまな流派の剣術を習い、一つの流派を極めることなく、いくつもの流派をかじり倒していました。

地元多摩郡で「近藤勇」と出会い、「天然理心流」の剣術を学ぶことになりますが、近藤や同門の「沖田総司」らのように免許皆伝までいかず、中極意目録に留まっています。

これは歳三自身が一つの流派を極めるのではなく、勝つことうぃ是とした証しではないでしょうか。

律する組織「新撰組」の確立

1863年、上洛し、新撰組結成、近藤の右腕として新選組の活躍に尽力しました。新撰組では“鬼の副長”と呼ばれ、組織の規律「局中法度」を最も重視しました。規律を破った者には容赦なく処罰をくだし、それがたとえ幹部であっても「士道不覚悟」として、切腹までいい渡していました。このように隊士を律しながら新撰組を強い集団に育て上げたのでした。




土方歳三の兵法

一人の相手に多人数で襲いかかる、集団剣術を考案し実践しました。これは新撰組に実力がともなわない若い隊士が増えたため。とも言われていますが、今までの武士の常識ではあり得ない戦法です。こんな剣術の稽古はどの流派でも実例がありません。これを卑怯と見る向きがあっても当然でしょう。しかし、負けることが絶対に許されない局面、戦術としては一つの正解だった。と言えるのではないでしょうか。

土方歳三の愛刀「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」

一人の剣士としての強さよりも集団としての新選組の強さにこだわった結果とも言えます。

あくなき勝利へのこだわり、ある時は砂を蹴り上げ目くらましを…ある時は石つぶてを投げつけ…。とにかく勝てば勝利、負ければ死。

流麗美技な剣さばきでも負けて死んでは戦えません。

さまざまな剣術をかじった雑種と言える剣術、勝って生き残り、そしてまた戦う。これが土方歳三の剣、彼の武士道でした。

 

【経歴】

1835年 武蔵国多摩郡の農家に生まれる

1851年 天然理心流「武術館」に入門、そこに近藤勇がいた 16歳

1863年 近藤勇らと清河八郎の浪士組に参加。その後、新撰組を結成 28歳

1868年 旧幕府脱走陸軍参謀として北関東を転戦 33歳

1869年 箱館一歩木閑門の戦いで被弾し戦死 34歳

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