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今井信郎 龍馬を斬った豪剣、西郷どんに恩を返す

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今井信郎 龍馬を斬った男、西郷どんに恩を返す―その数奇な運命

 

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【佐幕】
愛刀:不明
直心影流 免許皆伝
1841年 江戸出身
1841年~1918年 享年77歳

豪剣 強烈きわまる「片手打ち」を編み出す

幕臣の今井安五郎の長男として江戸で出生。

17歳の時、直心影流 「榊原鍵吉」に入門し、わずか3年で免許皆伝を授かりました。信郎は「片手打ち」という独自の剣法を編み出しました。水戸藩士の道場破りをその技で返り討ちにし、即死させたほどの強力な剣でした。

「榊原道場の薪割り剣術」と称されていた榊原道場にあっても伸郎の「片手打ち」はあまりの強さゆえ封印されたと伝わっています。

榊原道場では打突に渾身の力を込めるよう指導され、その稽古は苛烈を極め、渾身の力で振り下ろされた面打ちに脳震盪をおこす門下生も見られたといわれています。

打突とは現代の剣道のように相手より素早く急所に当てる技ではなく、確実に相手を仕留める実践に即応できる剣術であったようです。

その中になって信郎の剣術は峻烈な榊原道場の内でも群を抜いて強烈過激だったようです。それはその後の信郎の人生の中に大きく影響することになります。

今井信郎 中日新聞

出典:中日新聞

幕府にその腕前を見込まれ坂本龍馬殺害に

その腕に磨きをかけた信郎は幕府講武所の剣術師範代になり、1867年には京都へ着任、京都見廻組の与力頭に任命されます。そして佐々木只三郎らと、あの近江屋での坂本龍馬と中岡慎太郎の殺害に関与することになるのです。

龍馬殺害には諸説ありますが、1900年「近畿評論」という雑誌に掲載された今井信郎のインタビューで本人が「私が龍馬を斬った」と語っています。司馬遼太郎もそのことは定説と書いています。

西郷どんへの恩返し

戊辰戦争では幕府方として函館戦争まで戦い抜き無念の降伏。近江屋事件での糾問を受け、禁固刑になりますが西郷隆盛らの働きかけにより特赦を受け放免されました。

維新後は八丈島の政治、経済振興、教育に携わり島民からの信頼も獲得しますが、特赦の働きかけをしてくれた西郷隆盛が西南戦争を起こし、信郎は恩人である西郷どんに恩を返すべく西南戦争へ向かいました。が、その途中で西郷どんの自決の報を受け無念の帰郷を果たします。

今井信郎 静岡県島田市

出典:静岡県島田市

その後、静岡県島田市初倉村に移り村長を務めました。山深い村を選んだ理由は龍馬の暗殺者であり、西郷どんのシンパでもあり、あまりにも敵が多すぎ、三方山に囲まれた人里離れたむらでの半分は隠遁のようにおだやかな最期を送りたかったのではないでしょうか。キリスト教に改宗し、教会が主宰した坂本龍馬の法要にも参加したようです。




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