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斎藤一 永倉新八に「無敵の剣」といわしめた一撃必殺の鬼才 西南戦争では政府方として西郷どんと戦った

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斎藤一 永倉新八に「無敵の剣」といわしめた一撃必殺の鬼才

新選組三番隊長でありながら、西南戦争では新政府の警察官として「西郷どん」と戦った、数奇な人生。

斎藤一肖像画ja.wikipedia.org

出典:ja.wikipedia.org

【佐幕】愛刀:鬼神丸国重

流派は一刀流と伝わる

江戸、旗本御家人の出

1844年~1915年 享年72歳 病死

新選組の斎藤一。 その剣士が愛用していた刀は、「鬼神丸国重」

新選組の斎藤一 愛用していた刀は、「鬼神丸国重」

一撃必殺。わが国の歴史上、この言葉を文字通り体現していたのは斎藤一かもしれない。

新選組三番隊長だった斎藤一を同じく新撰組の二番隊長の永倉新八は「沖田総司は猛者の剣、斎藤一は無敵の剣」と語ったそうです。実際、斎藤一を沖田総司以上の腕前だと評する声も少なくなかったそうです。

そんな斎藤一にはこんな逸話があります。新撰組隊士募集に応募する以前、京都のとある道場に身を寄せていた時期があるといい、その理由は19歳の頃、江戸小石川で旗本と口論の末、斬殺してしまったためだそうです。キレると歯止めが効かない、狂気的な性質を持っていたというエピソードです。

翌年の1863年、斎藤一は新撰組では20歳にして副長助勤に抜擢、後の再編時には三番隊長となり、撃剣師範も任されました。剣の達人が集う新撰組においても、その才能は突出していた証です。

その剣の腕前も着実にじ実証していくことになります。

新撰組内部における粛清役をまかされることが多く、長州藩の間者(スパイ)とされた御倉伊勢武、荒木田左馬之助、薩摩藩と通じていたとされる武田御柳斎らを背後から斬り捨てて暗殺。すべて一刀で仕留めたといわれています。後ろから斬るのは卑怯ですが、一撃で葬るとは剣豪だからこそ成せる業です。

近藤勇が死しても斎藤一の戦いは終わらない

また戊辰戦争ではばk鳥羽・伏見の戦い、甲州勝沼の戦いですべて最前線に立っていました。斎藤一が有象無象の官軍兵士を斬り捨てていたことは想像に難くありません。

新撰組局長・近藤勇が新政府軍に投降した後も斎藤一は戦い続けましたが、松平容保の命えお受けた使者の説得で投降します。

そして越後高田で謹慎生活を送った後は何と敵対していた新政府の警視庁に入庁。さらに別働第3旅団豊後口警視徴募隊二番小隊半隊長として、西南戦争へ赴きます。

西南戦争では「西郷どん」と敵対し被弾しながらも戦果を上げ明治25年(1892年)退職しました。

斎藤一晩年の写真ja.wikipedia.org

出典:ja.wikipedia.org

晩年、斎藤一はこう語りました。

「真剣での斬りあいというものは敵がこう斬り込んで来たら、こう払っておいて、その隙にこう斬り込んでいくなど出来るものではなく、夢中になって斬りあうのです」

「突きは初太刀でうまくいくことは少ない。私が成功したのはほとんど三の突きでした」などと語った。と伝わっています。

新撰組、天満屋事件、戊辰戦争、西南戦争と豊富な実戦経験があるからこそ説得力のある言葉ではないでしょうか。

近藤勇

沖田総司

永倉新八

【経歴】

1844年 江戸 御家人の家に誕生

1862年 旗本を斬殺、京都に身を置く 19歳

1863年 新撰組で副長助勤 20歳

1868年 幕府に従い戊辰戦争に参加 25歳

1869年 旧会津藩士として下北半島へ 26歳

1874年 警視庁に採用 31歳

1877年 新政府警察官として西南戦争に参加 34歳

1891年 警視庁退職 48歳

その後、東京高等師範学校(現筑波大学)撃剣師範に奉職

1915年 胃潰瘍のため病死 72歳

 




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