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沖田総司 刹那に三度の突きを放つ“無明剣”の天才剣士

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沖田総司 刹那に三度の突きを放つ“無明剣”の天才剣士
沖田総司正面
【佐幕】愛刀:菊一文字
天然天然理心流 免許皆伝 北辰一刀流 免許皆伝 
江戸の白河藩屋敷出身
1842~1868 享年24歳 肺結核による病死
沖田総司拵え「加州清光」

沖田総司の愛刀のひとつ「加州清光」

“無明剣” と呼ばれる剣技の存在をご存知でしょうか。
一瞬の隙に間合いを詰められ一撃喰らった…と思っているうちに三撃を喰ら っている。
相対する者からは一突きにしか見えないがその瞬間、高速で三度の突き を打ち放つと言う技です。
まるで漫画のような描写ですが、これが沖田総司の必殺剣として知られる“無明剣”またの名を“三段突き”です 。
もちろん誇張されているのかもしれません。しかしこの技がフィクションであると言う証拠はありません。
実際は一瞬のうちに三度の突きと言うのはオーバーにしろ立ち会っている者にはそう見えていたと言う可能性だってあります。
この必殺剣の存在の有無は今や誰にも証明できませんが、こんな電光石火の剣術の使い手としてまことしやかに言い伝えられている沖田総司の実力を疑う余地はありません。
天賦の才を持つ天才剣士
早く両親をなくした「沖田総司」は幼少の頃に天然理心流試衛館の内弟子となります。
この道場の養子に、後の新撰組局長「近藤勇」がいたのでした。
沖田総司剣の構え
天賦の才を持つ者とは「沖田総司」 のようなもののことを言うのでしょう。試衛館に住み込んでわずか2年ほどが経った頃に白河藩の剣術指南役を負かしたと言う逸話があるほどです。17歳の時には免許皆伝、試衛館の塾頭となっていたそうです。
新選組二番隊隊長を務めていた永倉新八は後年、「竹刀の立ち会いで沖田総司にかかれば土方歳三、藤堂兵助、山南敬助は子供扱い。師匠である近藤勇も本気の沖田総司の前ではやられるだろう。とみんなで噂していた」といったことを語っていたと言うから驚きです。
新選組きっての剣豪も病魔には打ち勝てず
1863年沖田総司は試衛館 の仲間たちとともに浪士組に参加します。
そしてこの年は沖田総司は初めて真剣で人を切ることになります。
同じく浪士組の殿内義雄を暗殺したのです。その後の芹沢鴨らの暗殺も沖田総司や近藤勇らが中心になっていたと言うのが定説です。
翌年の池田屋事件では近藤勇、永倉新八、藤堂兵助と共にたった4人で突入しますが、戦闘中に昏倒し、途中離脱、詳細は不明ですが肺結核の発作ではないかと言われ、その後も病状が芳しくないために参戦できない戦いも多かったようです。
そして1868年、沖田総司は24歳の若さにして肺結核で死去することに。
幼い頃から慕っていた近藤勇が斬首形に処された2ヶ月後のことでしたが、沖田総司は近藤勇がこの世を去ったことを知らず、近藤勇からの便りを待ちながら息を引き取ったと言われています。
ちなみに剣を握らせれば恐ろしいほどの才能で敵を圧倒していて沖田総司は門弟に稽古をつける際も「刀で斬るな、体で斬れ!」と厳しく檄を飛ばしながら指南したと言われているいます。
が、一度剣をおけば子供らと無邪気に遊び冗談をよく言う陽気な青年だったそうです。
天真爛漫な天才剣士はそのギャップもまるで漫画の主人公のようではないでしょうか。
経歴
1844年 白川藩士の子として生まれる
1850年 天然理心流司令官の家弟子となる 6歳
1860年 司令官の塾頭になる 16歳
1863年 試衛館の近藤勇、土方歳三らとともに浪士組に参加する19歳
1864年 池田屋事件、たった4人で突入 20歳
1868年 千駄ヶ谷の植木屋英五郎の邸宅で結核より死去 24歳




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