【流派】直心影流 幕末維新「武士・志士」どもが学んだ剣術【流派】

『直心影流』幕末維新「武士・志士」どもが学んだ剣術【流派】

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幕末維新「武士・志士」どもが学んだ剣術【流派】

剣をおさめる武士

『直心影流』

万延元年(1860年)の頃、武蔵岩槻藩の江戸詰家臣だった山田平左衛門は木刀を使った剣術の試合で、相手と共に重傷を負ってしまいます。
これがもとで剣術を続けることができなくなりました。しかし平左衛門が再び剣術を志すようになったきっかけは竹刀で打ち合う稽古を知ったからです。
江戸時代中期まで剣術の稽古は攻撃側『打ち太刀』と防御側『仕太刀』が木刀を打ち合わせる『組太刀』と呼ばれる形稽古が主流でした。
しかし木刀を使う稽古は常に危険が伴いました。そこで、竹刀を使う安全な打ち込み稽古が考案されました。平左衛門は直心正統流の高橋重治の道場で、
竹刀を持ち、防具を身にまとい怪我を防止する稽古を見て、この道場に入門しました。平左衛門は稽古に励み1863年に直心正統流の免許皆伝を授かりました。
平左衛門は自らが教える立場になり、『直心影流』を名乗りました。その後『直心影流』は竹刀や防具の改良を重ね工夫された面や籠手などが作られました。
八代目の長沼国郷が主のころには工夫が加えられた防具を使うことで激しい稽古を可能にし試合も激しいものになりました。これにより入門希望者が殺到し、最盛期には1万人にも及んだそうです。
『直心影流』の竹刀や防具を使った稽古に批判的だった他の流派も激しさを求めるには竹刀と防具が必要。となり次第にこれを取り入れるようになり、組み太刀稽古はすたれ打ち込みによる剣術が主流になりました。
隆盛を誇った『直心影流』からは藤川近義による藤川派、団野義高による団野派、そして幕末の剣聖・男谷精一郎による男谷派などの多くの分派を生みました。

【『直心影流』の歴史】

1639年 開祖 山田平左衛門 生まれる。  蛮社の獄/幕府が渡辺崋山や高野長英などの「洋学者」を弾圧した事件

1683年 平左衛門 直心正統流の免許皆伝『直心影流』と改める。 五代将軍 綱吉の年代です。

1708年 平左衛門の子、長沼四朗座衛門が江戸に出て道場を開く。 翌年 生類憐みの令廃止 1703年には赤穂浪士の討ち入り

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