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高杉晋作 柳生新陰流免許皆伝の軍事の天才

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高杉晋作 柳生新陰流免許皆伝の軍事の天才
高杉晋作
【尊皇】1839年
1839年~1867年 享年29歳
愛刀:粟田口
柳生新陰流 免許皆伝
長門国 萩 城下菊屋 出身

代々毛利家に仕えてきた名門の長州藩士に生まれた高杉晋作は幕末期に『軍事の天才』と称されました。
軍隊の組織としては斬新と言うよりむしろ奇抜と言える農民主体の『騎兵隊』を結成し、総裁を務めました。
その行動力と発想力は現実をはるかに超えたまさしく天才でした。

その基礎を作ったのは剣術でした。地元(現・山口県萩市)の柳生新陰流・内藤作兵衛の道場に通い剣術に熱中しまし柳生新陰流の免許皆伝を取得しました。
1858年には藩命で江戸に留学、神道無念流の練兵館で稽古に励み1860年には東北から北陸に武者修行にも出かけています。
まさに剣の世界に全てを懸けているようですが、東北や北陸ではさまざまな人や価値観と出会い見識を広める目的が勝ったようです。

1862年には剣客としての実力を発揮、幕府の密偵と噂された高槻藩士・宇野八郎を桜田屋敷に誘い込み密殺しました。
長州に帰国後は佐幕の保守派を粛清し、藩の向かう先を反幕府へ導き長州を倒幕へと奮起させた立役者になりました。
高杉晋作と騎兵隊
『奇兵隊:まったく揃っていないバラバラのいでたちはまさに出生身分を超越している』

高杉晋作が総裁を務めた『奇兵隊』は西洋の軍隊方式を採用し、出生身分には全くこだわらず、尊攘志士を終結させたことで名を馳せました。幕府による第二次長州征伐では海軍総督として幕府軍とも戦いました。
当時は不治の病だった結核にかかっていた高杉晋作は大政奉還の瞬間まで生きることなく29歳の若さで死去しています。

あの有名な辞世の句『おもしろきこともなき世をおもしろく』は名将知将として幕末の時世を駆け抜けた奇才らしい言葉だと思います。
高杉晋作は背丈は小柄ながら名刀粟田口の長刀を愛し、まるで刀を引きずるように歩いたそうです。そのあたりに剣へのこだわりが垣間見得るような気がします。

【経歴】
1839年 長門国 萩 城下菊屋 長州藩士に生まれる
1857年 吉田松陰の松下村塾に入塾 19歳
1858年 江戸 神道無念流 練兵館に留学 20歳
1863年 下関戦争で奇兵隊を組織24歳
1866年 薩長同盟締結に奔走 27歳
1867年 肺結核の為 大政奉還を見ずに死去 29歳

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