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岡田以蔵 人斬り以蔵の別名を持つ幕末最凶の暗殺剣

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岡田以蔵 人斬り以蔵の別名を持つ幕末最凶の暗殺剣

岡田以蔵の墓碑

【尊皇】
愛刀:肥前忠広
小野派一刀流中西派 鏡心明智流 中伝
1936年 土佐藩 出身
1936年~1967年 享年28歳
岡田以蔵 人斬り以蔵の別名を持つ幕末最凶の暗殺剣
トカゲのように地を這う構えから居合一閃『隼』と呼ばれた必殺剣で狙った相手は必ず仕留める幕末最強の暗殺剣を操る岡田以蔵は天誅の名人と呼ばれました。

その剣は唯命を奪うためのみに研ぎ澄まされた暗殺者、京都の町に血の雨をお降らせ、殉難した志士の為の顕彰碑への顕彰をも拒まれた哀しき剣客でした。
終世の師と仰いだ勤皇党盟主・武市半平太の密命を受け、率先して汚れ仕事を遂行した岡田以蔵の最初の暗殺は1862年土佐藩家老・吉田東洋暗殺事件の捜査をしていた土佐藩目付・井上佐一郎の殺害でした。

この誅殺を皮切りに岡田以蔵は『天誅』の名のもとに半年の間に佐幕派の要人を次々と暗殺。これにとどまらず尊王攘夷派の粛清にも手を染めました。
岡田以蔵の剣は形にとらわれることなく命を取る事だけに集約された必殺剣です。対峙した相手の柄を払い刀を抜かせないなど、剣を志した者なら嫌悪する実践的な技も躊躇なく使いました。

土佐勤皇党が崩壊し武市半平太が切腹の沙汰を被る一月前に岡田以蔵は打ち首となり27年の生を終えました。
辞世の句は「君が為尽くす心は水の泡消えにしあとぞ澄み渡るべき」あまりにも稚拙で純粋な暗殺者という印象ですが、
実は武市半平太の指令がなくとも岡田以蔵自ら『天誅』を実行、天誅に加わりたい浪士が殺到していたほどでした。

利用された者ではなく、闇の暗殺集団を動かす実力者だったのかも知れません。

岡田以蔵がつけた刀傷、京都木屋町

岡田以蔵がつけた刀傷が残っている(京都木屋町)

 

【経歴】
1838年 土佐藩香美郡の郷士の家に生まれる
1854年 小野派一刀流中西派道場に入門 16歳
1856年 武市半平太らと江戸士学館に入門 18歳
1858年 鏡心明智流 中伝を授かる 20歳
1861年 土佐勤皇党に加盟 23歳
1862年 京に上り「天誅」を実行、9人を惨殺 25歳
1864年 京都で捕縛、土佐へ送還 27歳
1865年 土佐・山田獄舎で打首獄門 28歳

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