【佐幕】な行

永倉新八 剣にすべてを懸けた新選組の撃剣師範

更新日:

 
永倉新八 剣にすべてを懸けた新選組の最強の剣術つかい
【佐幕】愛刀:播州住手柄山氏繁
神道無念流 免許皆伝 新選組二番組長
江戸(松前藩方)出身
1839~1915 享年76歳(新選組唯一の生き残り)
剣豪揃いの新選組の中でもひときわ抜きんでた剣腕を誇った 永倉新八。神道無念流剣術道場「撃剣館」に7歳で入門、弱冠18歳で免許皆伝を得ました。剣の道を極めるため脱藩し剣術修行に出てその後、近藤勇の天然理心流「試衛館」道場の客分となり、新選組の前身「浪士組」に参加しました。新選組では剣術師範を任され、二番組長も勤め新選組の幹部として重要な役どころを担いました。
永倉新八の得意としていたのは「龍飛剣」。下段の構えから敵の打ち込みを擦り上げ斬り落とす、相手の剣をはじく必殺剣でした。永倉新八が洛中に名を轟かせたのはあの「池田屋事件」でした。鎧が破れ、刀が折れても斬りすてた 長州藩士の刀を拾い、無心に切り合い 新選組の羽織は返り血で真っ赤に染まっていたそうです。
その後、近藤勇とそりがあわなくなった永倉新八は戊辰戦争の最中に新選組と袂を分かつことになり、維新後は出身の松前藩に戻りました。
しかし、根っからの剣士であり戦士である永倉新八はなんと55歳で日清戦争に参戦、抜刀隊に志願しましたが、薩長土肥率いる明治政府の軍隊が新選組に手助けを乞う訳にもいかず、話しは立ち消えになりました。
 
小樽市に居を移し孫を連れよく映画館に通ったそうです。晩年77歳の時、東北帝国大学の剣道の指導を依頼されたときは「型を教えるだけ」と家族の説得を押し切り指導にあたりました。
永倉新八という人は最後の最後まで剣に生き、剣を全うした人だったのです。ほんとうのLAST SAMURIかも知れません。

-【佐幕】な行
-, , , ,

Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.

Copyright© 幕末維新 もののふ(武士)列伝『勤皇』『佐幕』 , 2018 AllRights Reserved Powered by STINGER.