【流派】北辰一刀流 【勤王】さ行

坂本龍馬 北辰一刀流を極めた真の武人

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坂本龍馬 北辰一刀流を極めた真の武人
【勤王】愛刀:吉行
北辰一刀流 小栗流 免許皆伝
土佐藩 土佐国土佐郡上街本町出身
1836~1867 享年31歳 暗殺

土佐藩郷士の家に生まれた龍馬が剣の道に足を踏み入れたのは10台半ば、14歳の時、小栗流・日根野弁治に弟子入り、心身ともに鍛え上げられ、19歳で江戸へ剣の修行に出る。千葉定吉道場に入門し北辰一刀流を学ぶ。5年後、北辰一刀流長刀兵法目録を受け土佐に帰藩する。まさに北辰一刀流の免許皆伝を得る。

剣術修行に没頭し、剣の達人の域に達した龍馬だったが、あの動乱の洛中にいて、ただの一度も人を斬ったことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

1886年捕縛されそうになり負傷を負った「寺田屋」事件でも刀は抜かなかった。免許皆伝まで剣の道を突き詰めた龍馬にとって剣術の先にあるものが、新しい日本の夜明けというものだったのか。剣一辺倒だった龍馬は帰藩後それまで興味を示さなかった勉学に打ち込み、洋学も学ばなければと周囲に語っていたと伝わる。

当時の江戸幕府は諸外国の要求を断固跳ねのける力もなければ諸藩を束ねて事態に対処する求心力もなかった。龍馬らが現状の幕府では日本は諸外国の餌食となる。天皇のもとに統一された国家になる必要があると考えるようになったのも必然だった。
倒幕のために龍馬が取った行動は薩摩藩と長州藩の協力だった。そして不可能と思われていた薩長同盟を締結させた。しかも武力で押し切ろうとする薩摩・長州両藩を諫めながら幕府方と交渉、大政奉還を目指し動いた。
龍馬が江戸の千葉道場でで剣術を学んでいたころ浦賀に黒船が来航した。その圧倒的な軍事力、技術に驚き砲術や蘭学を学ぶきっかけとなった。

 

 

 

 

 

 

千葉重太郎とともに開国論者の勝海舟を斬りにおもむいたが、海舟から世界の情勢や海軍の必要性を説かれ、その場で弟子入りを志願したのは有名な話だ。勝海舟との出会いがなければ世界に出る夢や船中八策もなかったかもしれない。
【経歴】
1836年 土佐藩の郷士坂本八平の次男として生を受ける
1848年 日根野弁治道場に入門、小栗流を学ぶ 13歳
1853年 剣術修行で江戸の千葉定吉道場に入門、北辰一刀流を学ぶ 18歳
1861年 土佐勤王党に参加 25歳
1892年 勝海舟に弟子入り 27歳
1866年 薩長同盟成立 30歳
1867年 海援隊を組織、11月15日近江屋で襲撃を受け死亡




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